--その後ですね。遊技機に進出したのは
「いろいろヒット商品は出ましたが、開発面ではアイデアが枯渇していました。売れそうなものが思いつかない。そんなときに、パチンコ機メーカーから『アレンジボール』の開発依頼が舞い込みます。当時の遊技機は機械式で、電子回路とは無縁でしたが、遊技機メーカーは電子技術を投入したいという。そこで交換条件を申し入れました。『こちらが電子回路などを出すので、盤面やくぎの技術をもらえないか』と。これが遊技機分野に進出する契機となりました。この開発で出来上がった機械はよく売れた。確か、市場でのシェアも4割ぐらい取れましたね」
--75年にはサミー工業を設立。今年はそれから40周年ということになります
「この前後も大変ではありました。まず刑事事件にまで発展した『中日スタヂアム事件』に巻き込まれて4億円程度の損が出ます。その後、ゲーム納入先からの手形が不渡りとなり、さとみは倒産しました。残った社員とともにサミー工業を再建し事業を続けました。78年、アミューズメント機器が本格的な電子化時代を迎えます。同年タイトーが投入したビデオゲーム機『スペースインベーダー』は、社会現象になるまでの大ヒットとなりました。これに乗じて、偽物を作るメーカーもたくさんありましたね。当社は、正式な契約に基づくライセンス生産を実施。再建を果たしました」
--サミーはその後、大手遊技機メーカーとして発展、97年には社名もサミーに変更しました。2004年にはセガと経営統合し、セガサミーホールディングスが発足。グループ連結では売上高3500億円を超える総合エンターテインメント企業に発展した格好です