【世界に夢と感動を-サミーの40年-】(7-2) (3/5ページ)

2015.11.27 05:00

里見治会長

里見治会長【拡大】

  • 28歳の頃の里見会長。徳丸工場内で
  • さとみが市場に投入したアミューズメント機器の1号機「ポニーダービー」
  • さとみのアレンジボール遊技機1号機「ミラクル」
  • アミューズメントマシンショーに出展
  • 東京都板橋区にあった徳丸工場の内部(1978年開設)
  • 里見会長自らデモ説明
  • 現場を駆け回っていた頃の里見会長

 --その後ですね。遊技機に進出したのは

 「いろいろヒット商品は出ましたが、開発面ではアイデアが枯渇していました。売れそうなものが思いつかない。そんなときに、パチンコ機メーカーから『アレンジボール』の開発依頼が舞い込みます。当時の遊技機は機械式で、電子回路とは無縁でしたが、遊技機メーカーは電子技術を投入したいという。そこで交換条件を申し入れました。『こちらが電子回路などを出すので、盤面やくぎの技術をもらえないか』と。これが遊技機分野に進出する契機となりました。この開発で出来上がった機械はよく売れた。確か、市場でのシェアも4割ぐらい取れましたね」

 --75年にはサミー工業を設立。今年はそれから40周年ということになります

 「この前後も大変ではありました。まず刑事事件にまで発展した『中日スタヂアム事件』に巻き込まれて4億円程度の損が出ます。その後、ゲーム納入先からの手形が不渡りとなり、さとみは倒産しました。残った社員とともにサミー工業を再建し事業を続けました。78年、アミューズメント機器が本格的な電子化時代を迎えます。同年タイトーが投入したビデオゲーム機『スペースインベーダー』は、社会現象になるまでの大ヒットとなりました。これに乗じて、偽物を作るメーカーもたくさんありましたね。当社は、正式な契約に基づくライセンス生産を実施。再建を果たしました」

 --サミーはその後、大手遊技機メーカーとして発展、97年には社名もサミーに変更しました。2004年にはセガと経営統合し、セガサミーホールディングスが発足。グループ連結では売上高3500億円を超える総合エンターテインメント企業に発展した格好です

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。