昭和初期、桑名市を走る桑名電軌。生家はこの通りの近くにあった(桑名市中央図書館提供)【拡大】
■感受性磨かれた“桑名”の少女時代
1936年、三重県桑名市で生まれました。6人姉妹の次女。両親と父方の祖母の3世代9人の大家族でした。両親とも尋常小学校を出ただけの、ごく普通の家庭でした。祖父は農家で牧場も手がけていましたが、長男の父、松尾定信は後を継がずにカメラや車など当時の先端機械に憧れて自転車の仕事を始めました。祖父にとっては、残念だったかもしれません。私たち姉妹も家業は見向きもしなかったので、2代にわたって家業を継いでもらえなかった家系です。
国鉄(現・JR東海)桑名駅を降りると、そこから駅前通りをわずか全長1キロの日本で一番短い市電「桑名電軌」が一直線に走っていました。生家は、その目抜き通りに面したところにありました。
幼いころの桑名の思い出は3つあります。
◆足腰の強さ自慢
1つは父との撮影小旅行。機械好きの父は本業の自転車よりもカメラに夢中で、稼いだお金をカメラのコレクションに使っていました。そして休日になると、私がヨチヨチ歩きのころから、ふるさと三重の山や川、海にカメラを担いで撮影に連れて行ってくれていました。川や風の匂い、音、光。原風景としてすべて皮膚感覚、潜在意識で覚えています。カメラの脚を押さえたり、できることは何でも手伝いました。撮影旅行から帰ってくると父と一緒に暗室にこもって、まるで魔法のように印画紙に映像が現れるのを息をのんでみつめていました。父と2人だけのヒミツの時間と空間。それはいまなお忘れがたい記憶です。