
記者会見を終えて引き揚げる、三菱自動車の相川哲郎社長(右)。不正問題への経営陣の関与が焦点になる=27日午後、東京都港区【拡大】
三菱自動車の燃費データ不正問題は、かつての不祥事から再生への道筋が付いた直後に発覚した。平成12年、16年の2度のリコール(回収・無償修理)隠しなど相次ぐ不祥事で厳しい批判を受けたが、歴代の経営トップは四半世紀に及ぶ不正を根絶できなかった。今後の調査では、益子修会長や相川哲郎社長ら経営陣を含め組織的な関与があったかどうかが焦点になる。(会田聡)
「(27年度は)新車投入計画を発表し、ブランド復活のスタートを切った年だった」。相川社長は27日の決算会見でこう述べ、肩を落とした。
三菱自は昭和45年に三菱重工業の自動車部門が独立して発足した。スポーツ用多目的車(SUV)の先駆け「パジェロ」などヒット商品を生み出し、一時は国内販売70万台を誇った。
だが、三菱重工出身の河添克彦氏が社長時代の12年に、部品の欠陥へのクレームを隠して内密に回収・修理するリコール隠しが判明。14年にも欠陥による死傷事故が横浜市と山口県で起き、河添氏は起訴され、有罪判決が確定している。