
記者会見を終えて引き揚げる、三菱自動車の相川哲郎社長(右)。不正問題への経営陣の関与が焦点になる=27日午後、東京都港区【拡大】
ブランドの失墜で業績が悪化する中、14年に当時の筆頭株主の独ダイムラー・クライスラーからロルフ・エクロート氏が社長に就任した。三菱グループ外から初の社長だったが、経営を立て直せず、ダイムラーが16年に資本提携を解消したことで退任している。その後、再びリコール隠しが明らかになり経営危機に陥った。
これに対し、三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行の「御三家」を中心とする三菱グループが、三菱自の優先株を引き受けるなど支援。再生への陣頭指揮を執る社長に17年に就任したのが、三菱商事出身の益子氏だ。
益子氏は経費削減や海外事業の強化で業績を回復し、26年には優先株の大半を消却した。一方で、リコール隠しをめぐり、元役員に損害賠償を求めるなど不正を断ち切る姿勢を見せていた。産経新聞の26年のインタビューでは、「経営者の対応が一番の問題だった」と語っている。
しかし、リコール隠しの裏で、今回の国内法令と異なる走行法で燃費試験を行う不正は3年から約25年間にわたり続いていた。試験のデータ改(かい)竄(ざん)も、25年から販売する軽自動車の開発段階で行われていた。