【高論卓説】ソニー電池撤退は必然だったのか 本気で車載用参入せず…創業者の教え? (2/3ページ)

ソニー本社ビル=東京・港区港南(撮影・古厩正樹、撮影日:2012年4月12日)
ソニー本社ビル=東京・港区港南(撮影・古厩正樹、撮影日:2012年4月12日)【拡大】

 ニッケル水素電池を持たないソニーと組んだ日産は、ZEV規制に対応するため97年にプレーリーEVを、98年にはアルトラEVを少量生産し発売する。いずれも正極にコバルト材採用のリチウムイオン電池が搭載された。だが、ソニーはこの直後に日産から離れていく。

 当時はノートパソコン用の需要が拡大していて、「選択と集中から車載向けの大型電池から撤退する決定をした」とソニー関係者は打ち明けた。両社で安全基準とコストをめぐりせめぎ合いがあり、さらに99年には経営危機が表面化した日産がルノーとの資本提携に踏み切るタイミングと重なってもいた。

 日産と別れ、モバイル機器向けにかじを切ったソニーだったが、リチウムイオン電池の高容量化を競う中、2006年には発火事故が相次ぐ。車載用に再参入の意向をソニーが示したのは、09年11月。翌10年7月にも「特徴あるソニーらしい電池で(車載用に)参入したい」(当時の役員)という発言が決算会見で飛び出した。

実はこの頃ソニーは、オリビン型リン酸鉄を正極材に使った…