【高論卓説】ソニー電池撤退は必然だったのか 本気で車載用参入せず…創業者の教え? (3/3ページ)

ソニー本社ビル=東京・港区港南(撮影・古厩正樹、撮影日:2012年4月12日)
ソニー本社ビル=東京・港区港南(撮影・古厩正樹、撮影日:2012年4月12日)【拡大】

 実はこの頃ソニーは、オリビン型リン酸鉄を正極材に使ったリチウムイオン電池を開発していた。リン酸鉄は微粒子化が難しく容量は小さいものの、安全性が高く短時間で充電できる特性がある。ソニーは電動工具向けに商品化したが、08年の北京五輪では会場を走る電動バスに使われていた。10年の時点でリン酸鉄の電池を実用化できていたのは中国BYDやソニーなど世界に数社しかなかった。

 しかし、結局ソニーは車載用には入らなかった。その理由について、ソニー関係者は次のように語った。「人命にかかわる事業はやらない。創業者、井深大のそういう教えがあったから」。どうやら、自動車という人命にかかわる分野への熱意は、最初から希薄だったようだ。開発に莫大(ばくだい)な投資をしたのに、ノートPCや音楽プレーヤーなどに用途は限定されていた。撤退は必然だったのかもしれない。

 一方、テスラモーターズのEV「モデル3」の先行予約が短期間に40万台近くに達した。これだけの台数となると、ZEV規制が強化されていく17年後半からEVの乱売や電池の過剰生産に転ぶ心配が膨らむ。ソニー創業者の教えは、いまも何かを予見するものなのか。

【プロフィル】永井隆

 ながい・たかし ジャーナリスト。明大卒。東京タイムズ記者を経て1992年からフリー。著書は「サントリー対キリン」「人事と出世の方程式」など多数。58歳。群馬県出身。