パックマンの海外での人気は、英ギネスが「最も成功したゲーム機」に認定したことや、米映画「ピクセル」の題材になったことでもわかる。米グーグルは2010年、検索サイトのトップページを一時的に、実際に遊べるパックマン仕様に変更した。経済用語でも、敵対的買収を仕掛けられた企業が逆に株式公開買い付け(TOB)を行う対抗措置を「パックマン・ディフェンス」と呼ぶほど浸透している。
また、ナムコは1983年に発売されたファミリーコンピュータ(ファミコン)にも積極的に参加。特に「ゼビウス」は、「業務用のゲームを家庭で楽しめるというのが衝撃的だった」(浜村氏)。プレーヤーの操る戦闘機が画面の先に先に進み、見たことがない景色が広がる「スクロール」や、地上の決められた場所を正確に攻撃すると、銀色の塔や旗が突然現れる「隠れキャラ」のはしりでもあった。
中村さんは欧米で「パックマンの父」との異名をとったが、もちろん、現場でゲームをつくったクリエイターは他にいる。パックマンの岩谷徹氏、ゼビウスの遠藤雅伸氏らが有名だ。それでも、中村さんが「父」と慕われるのは、経営の力と人柄で、彼らを強く後押ししたからだ。
ナムコ出身の石川祝男バンダイナムコホールディングス会長は中村さんについて、「社員の『これをやりたい』という思いをとても大切にし、若手にチャンスをどんどん与える人でした」とコメント。浜村氏も「中村さんの人柄で、『楽しんでモノをつくる』『新しいことに挑戦する』という風土がナムコ社内に培われた」と指摘する。