
被災地では、ガソリンに限らず重機用の軽油も不足した=2011年3月26日、岩手県陸前高田市【拡大】
ただし、青函トンネルのような長大トンネルでは安全面への配慮から石油など可燃物の輸送ができない。盛岡タ駅の油槽所には、通常は1日2~3便、仙台製油所から石油が貨物列車で運ばれる。3月11日以降、搬入がなくなり、わずかな在庫を緊急用に限り拠出してきた。それももはや限界にきている。早く石油列車が来ないだろうか。米川さんは祈るような気持ちで、上り方向の線路を見つめていた。
到着に拍手と歓声
19日午後9時48分。「おい、来たぞ! 来た来た! あれが石油列車だろ」。盛岡タ駅に陣取った20人以上の取材陣から一斉に声が上がった。暗闇から機関車のライトがゆっくりと進んできて、盛岡タ駅の指定ホームに滑り込んできたのは、たしかにタキ38000を18両牽引(けんいん)した石油列車だった。ガソリン、軽油合計792キロリットルを積んだ石油列車は26時間かけて時間通りに到着。現場にいたのはマスコミのほか鉄道関係者だけだったが、拍手や声援が沸き上がった。同時刻、東京のJR貨物本社にも到着を知らせる電話が入り、異常時対策室に詰めていた職員から歓声が上がっていた。
石油は油槽所のタンクに移され翌朝タンクローリーで被災地に運ばれた。震災発生からわずか10日足らずで石油の大量輸送が実現した。「鉄道貨物輸送の底力だな」。米川さんは誇らしく思った。
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