山一破綻 金融行政の転換点に システム整備、「リーマン」で生きた教訓 (2/2ページ)

1997年11月、自主廃業発表の会見で涙を見せる山一証券の野沢正平社長=東京・日本橋兜町の東京証券取引所
1997年11月、自主廃業発表の会見で涙を見せる山一証券の野沢正平社長=東京・日本橋兜町の東京証券取引所【拡大】

  • 1997年11月、自主廃業を決めた山一証券で、顧客の対応に追われる社員ら=東京・銀座の山一証券銀座支店

 山一破綻の引き金は「飛ばし」と呼ばれる巨額の損失隠しだった。川北英隆京都大大学院客員教授は、山一破綻を企業統治改革の原点と位置付け「経営陣が密室で物事を決めることができないように社外取締役を増員し、顧問や相談役といった役職を見直すことが必要だ」と警鐘を鳴らす。

 破綻は社員の人生を翻弄した。東京・赤坂のオフィス街。元山一マンで人材派遣会社マーキュリースタッフィング社長の永野修身さん(59)はこれまでに数百人の元同僚の再就職を世話してきた。システムエンジニアとして山一子会社に出向していた斎藤賢治さん(51)は現在、都内で人気ラーメン店を経営する。「大企業に就職すれば将来は安泰」という考えは裏切られた。「あの時、会社に依存するのは危ないと思った。自分の力で生きることを考えた」

 山一の破綻時に「社員は悪くありません」と涙ながらに訴えた野沢正平元社長は取材に対し「申し訳ないが、山一について改めて話すことはない」と応じた。