“世界一の地ビール”が茨城で生まれた理由 老舗酒蔵が造る「常陸野ネスト」の魅力 (2/5ページ)

 地ビールブーム終焉による経営悪化が、海外進出に向かわせた

 木内酒造の創業は文政六年(1823年)。約200年前、江戸時代の茨城県那珂市で酒造りを始めた。そんな老舗酒蔵がビールの製造を始めたのは1995年。かつて日本では大手4社しかビールを造ることが認められなかったが、酒税法が1995年に変わり、小規模でビールを造ることが認められるようになった。そこで木内酒造もビール事業に参入したのだ。

木内酒造の創業は約200年前の文政六年(1823年)。江戸時代、茨城県那珂市で酒造りを始めた(PRESIDENT Onlineより)

木内酒造の創業は約200年前の文政六年(1823年)。江戸時代、茨城県那珂市で酒造りを始めた(PRESIDENT Onlineより)

 当時は参入者も多く、日本では全国的に地ビールのブームが巻き起こった。しかし、ブームはいつか終わるもの。数年たつと売り上げが激減し、地ビール会社が次々と倒産していった。木内酒造も同様に大打撃を受けたという。

 「この時期、経営は苦しかったですね。でもあの経験があったからこそ、日本でダメなら世界で勝負しようと思い切って事業転換ができたんだと思います」と木内酒造取締役の木内敏之さんは言う。

 その後1997年に行われた世界のビールコンテストに挑戦し、見事第1位に。出品された220のビールの頂点に立った。その後も数々の世界コンテストで受賞し続け、世界で注目を集めるようになり、海外への輸出を本格化していった。

 欧米のコピーではない、日本スタイルのビール作りとは

 海外でビジネスをするようになり、木内酒造ではあることに気づいたという。日本の大手ビールメーカーは欧米のビールに近づこうと努力しているが、海外のマーケットでは日本オリジナルのビールが求められていたのだ。

「欧米で売れているビールのコピーであってはいけない」