「宗教自体がいい悪いではないが、その寺には修行中の少年僧のように住み込み状態でいつもいるようになった。早朝に起きて庭の掃除をしたり、かゆをつくったりした。お茶やお花を学び、写経もした。説法を聞き、住職と話をし、いろいろな知識・教養を身につけた。経済人と話すと全ての価値がお金とか株式になるが、お寺に行くとビジネスから離れて社会貢献の話になる。父からは『企業を車に例えると利益と社会貢献の両輪があいまって前に進む』と教わった。(近江商人の)『三方良し』だ。寺で学んだことが『人を活かすことがパソナであり、社会の問題点を解決するのがパソナ』という創業時の精神につながった。ここで学んだ生き方は忘れていない」
--恩師は2人いると聞く
「住職と、もう一人が経営学者で多摩大学や事業構想大学院大学などの初代学長を務めた野田一夫先生。野田先生は(後にベンチャー三銃士と呼ばれた)ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏、エイチ・アイ・エス会長の澤田秀雄氏と出会わせてくれた。創業したばかりの私を、大会社の社長が集まる場所に呼んでくれた。孫氏も来ていた。孫氏、澤田氏は鋭いビジネス感覚を持つが、私は農業と地方創生という違う分野を歩む。でも気が合うし仲はいい。野田先生から『夢と志は違う』と教わった。夢は個人の願望だが、夢のはるかかなたに志があり、かなうと世界全体が喜ぶ。次元が違う。経営者は高い志を持つ必要がある」
--事業が軌道に乗った35歳のときに渡米した
「パソナは6人で創業したが、彼らが『行ってこい、世界を見てこい』と背中を押してくれた。会社の器は社長の器で決まる。井の中の蛙(かわず)では駄目だと創業メンバーに会社を任せ、家族で渡米した。しかし1995年1月、故郷の神戸で阪神・淡路大震災が発生し単身で戻ることになった。42歳のときだった。家や店を失い、仕事をなくした人たちがたくさんいる中で、何ができるかを考えた。とにかく雇用確保ということで神戸復興プロジェクトを開始。神戸ハーバーランド内に96年、大型商業施設『神戸ハーバーサーカス』をオープンした」