1980年代から尾を引く「FSX」日米交渉 開発計画は「日本主導」に傾くか
日本が航空自衛隊の戦闘機「F1」の後継機として着手した「次期支援戦闘機(FSX、後の「F2」)の開発をめぐり1980年代半ばから米国との間で行われたやり取りについてはさまざまな意見が出ている。こうした意見がF2後継機の調達に影響を及ぼすのは避けられない。
カーネギー国際平和基金のアジアプログラム担当上級研究員であるジェームズ・スコッフ氏は「F2開発は物議を醸すもので、米国は『日本がF16の派生型開発を目指して金を浪費している』と考えていた。一方の日本側も『米国が可能な限りの技術共有を行わず、日本のための計画であるにもかかわらず、さまざまな面でほとんど日本に裁量を与えていない』と考えていた。協力のレベルや共有、プロセス全体の効率に関して互いに不満があった」と振り返る。
その多くは当時の日米間の競争に起因していた。日米の防衛および貿易問題について米国務省や国防総省とともに取り組んだ経験を持つグレッグ・ルービンスタイン氏(現在は米不動産情報会社GARアソシエイツのディレクター)はカーネギー国際平和基金の報告書で、日本に「米国製品を買え」というワシントンの要求と東京の国産航空機開発へのこだわりは当時の貿易戦争によってあおられた、と述べている。
こうした見方は、この新たな戦闘機が同盟にどういう利益をもたらす可能性があるかという要件ベースの評価によってバランス調整されたわけではない。スコッフ氏は「米国は現在、この領域で日本とより近い位置にあり、日本が今後の開発に向けて技術を取り込むことに対してはあまり懸念していない」と指摘する。
「共同開発」同床異夢
F2開発計画、すなわち米ロッキード・マーチン製「F16」の派生型戦闘機調達の最終的な成果は公式には「共同開発」と呼ばれているが、双方ともそう考えてはいないという。
ルービンスタイン氏は「米国はF2開発をF16派生型機の開発支援という安全保障援助の実行の一つと見なしており、調達についての関心はなかった。日本にとってF2は、米国の圧力下で押し付けられた航空機設計に基づく国産計画だった」と明かす。
一方、米シンクタンク、戦略国際問題研究所のアジア担当上席副所長兼日本理事のマイケル・グリーン氏は「F2調達は物議を醸すものではなかった」と考えている。
同氏は、1990年代半ばに日本の航空宇宙業界幹部を対象に調査を実施し、「F2で米国と協力した彼らの経験はネガティブなものではなかったことが分かった」としている。
グリーン氏は、F2をめぐって日本がネガティブな経験をしたという意見の多くは、国産航空機を求める日本の産業界の一部や政治家が押し付けているものだと考えている。