出店企業の9割以上が撤退
住民の間で意見がわかれたときは「町の未来」という目標を掲げると答えが一つになることがあります。あなたはこの町の未来について、どういう考えを持っていますか。この町の素晴らしさをどう次の世代に伝えていきたいですか、と問いかけることで、考えを共有してきました。基本は住民は皆、大森町が大好きである、ということです。
話を世界遺産に戻しましょう。私の協議会長としての仕事の一つに、世界遺産に向けて町に出店したいと外部から見える商業社に対応することがありました。
それぞれの商業者とお会いし、この町に出店する目的や店舗運営の考え方をお聞きしながら、こちらからもこの町にはこの町のルールがあることを説明して、イベント的に出店されて短期間で撤退されては困る、といった話をしました。そういったことをともに理解をしたうえで進めていきましょうと。結局、出店された方の9割以上が撤退されました。
行政との大激論
住民同士の話し合いでなんとか合意形成がとれたら、今度は行政との話し合いです。行政とも、ずいぶんやり合いました。行政は世界遺産がこの町にプラスになるとしか頭にないわけですから、会議がヒートアップすることもしょっちゅう。そうすると互いに机を叩きながら大激論になります。行政の担当者は、それこそ昔から知っている飲み仲間。しかし世界遺産の話になると、彼らは行政、私は住民の立場で向かい合って激論をたたかわせる。お互いに性格まで知っているわけですから、悪い人間ではないことはわかっています。身近な人と対峙していく厳しさはありましたね。
行政からは、さまざまな提案がなされました。たとえば世界遺産センターを町の中につくるという話。まずもって、この町にはそんな場所はありません。だから違う場所にして、目的地手前で自家用車を駐車し、そこからバスに乗り継いでいただくパークアンドライド方式を採用してもらうことにしました。
また大きな看板をあちこちに出そうとするので、それは町の景観を壊すからやめてほしいと。そもそもこの町は重伝建地区に選定されたときから、看板を排除してきた歴史があるのです。私も本店をオープンするときに、数個つくっておいた看板は、結局使わず、最後は薪になりました。
行政の担当者と協議し、結果的に、看板のサイズや素材を定めたサイン計画ができあがりました。町並みの景観に配慮できるよう住民と協議し、文言まで、こちらが考えるというものでした。特に駐車場の問題や町内の交通形態など、町全体に関わることについては、町の代表と行政の担当者が共同して検討する場として「ルール検討会」を設けました。自然と人と遺跡が調和した大森町の姿を守ることを念頭に、住民憲章の草案づくり、町内での出店や土地の売買など商業活動におけるルールの作成、そして登録後の観光客急増による影響をやわらげるパークアンドライドの検討といった議論を重ねてやっていました。
「世界標準になるようなライフスタイルを」
2007年7月、石見銀山は世界遺産に登録されました。この日、東京大学教授(当時)で都市計画を専門に研究されている西村幸夫先生から、私たちあてにメールをいただきました。
「石見銀山が世界遺産に登録されて、あなたたちはがっかりしているかもしれない。でもせっかく世界遺産になったのだから、そんじょそこらの世界遺産ではなく、イタリアの小さな村からアンチファーストフードに端を発してスローフードが世界中に広まったように、世界標準になるようなライフスタイルを発信してほしい」
西村先生は、私たちのことを「この会社は、単に雑貨業でもなく、アパレル業でもなく、この夫婦の生き方が産業になっている」とご著書の中でご紹介くださっていた方。また日本イコモス国内委員会(国際記念物遺跡会議)の委員長として、世界遺産登録にも関わっていらっしゃいました。私たちはこのメールにとても励まされ、そしてひょっとしたら本当にそれが可能かもしれないと思い始めました。
1万人もの観光客が押し寄せた
しかしながら世界遺産登録直後の8月、9月、10月。この小さな町に、ものすごい数の人が押し寄せてきました。多い日には人口400人の町に1万人もの人がやってきたのです。まさに激震です。この3カ月に発生した問題は、私たちの想像をはるかにこえるものでした。
問題は大きく3点。まず1点目は、この町の魅力が見えなくなってしまったことです。訪れる人の多くは「世界遺産」という4文字にひかれてくるわけですから、目的は銀山の見学で、この町の魅力は二の次、三の次。私たちとしては、この町の暮らしの豊かさを前面に出したいわけですから、当然そこに温度差が生じます。
実際、本店に見えたお客さまから「お宅も世界遺産になったから、お店をつくったんですか」と言われたときのショックといったら……。これまで私たちがやってきた町並み保存やお客さまとゆっくり築いてきた関係性がすべて消されてしまったのです。これが1点目の問題点です。
2点目は町のキャパシティーの問題です。人口400人のこの町に1日1万人をこえる人が押し寄せると、どうなるか想像がつきますか。本店は私の家の目の前にありますが、家から本店にいく幅3メートルの道路が人の波で渡れないのです。まるで原宿の竹下通りです。歩く人は右も左も関係なく、前の人の背中を見ながら、どんどん歩く。異常な事態ですが、これが実態でした。
町に人が増えることで、ゴミやトイレの問題も起こりました。驚いたことに私の家の前の溝で用を足した人もいます。観光の目的が何かを忘れ、マナーや秩序、感謝といった人間本来の姿まで失われてしまった気がしました。