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「世界遺産登録で地獄を見た」 1万人が押し寄せた人口400人の町 (3/3ページ)

 1年で過ぎ去った「ブーム」

 周りはたくさん人が来て素晴らしいというけれど、住民からするととんでもない。せっかく来てくださったお客さまに十分なおもてなしができるわけもなく、町のキャパシティーをこえた集客は、住民、観光客、両者にとって地獄を見る結果となったのです。3点目は、経済的なピークをつくってしまったことです。世界遺産登録から3カ月は、人が大勢押し寄せて、この町にお金を落としていった。しかし3カ月を過ぎると、徐々に訪れる人は減っていきました。

 地方の経済というのは、ゆっくりと成長していくことが住民にとっても商売人にとってもいいわけです。ピークをつくることは、その黄金成長率を焦がしてしまう。

 ブームをつくっては荒廃させていく消費型の観光地は日本各地に山ほどあります。

 黄金成長率を無視し、単に目先の利益だけを追いかけた結果です。

 そのような事態に直面し、私なりに対応策をとりました。まず駐車場に給水所を設置し、お客さまが水を自由に飲めるようにしました。夏場で非常に暑い時期でしたので、倒れる人がいるのではないかと心配したのです。

 そして観光バスを待つ人に向けて、拡声器で「この町のよさは世界遺産だけではありません。今度はぜひ町並みを見に来てください」とずっと語りかけました。本当の町のよさを知らずに帰られることが残念でしょうがなかった。

 たいていの人が「この男、何をしゃべっているんだろう」と私のことを不審な目で見ていましたが、中には「あなたの言っている意味がよくわかりました」と声をかけてくれる人もいました。

 非常に厳しい夏でしたが、ブームは1年ぐらいで収束しました。

 目指すのは「生活観光」

 この世界遺産登録の経験があって、私たちは根本的に観光のあり方を見直すことになりました。観光といっても、私たちが目指すものは「生活観光」です。

 生活観光とは、訪れた人が私たちの暮らしを見たり、ここで出会う人と交流したりする新しい観光スタイルです。

 私たちはこれまで30年以上、町づくりをしてきましたが、訪れた方には、この古い町並みを生かした暮らしのあり方や、私たちの姿を見ていただいてきました。そして若者たちがここで本当に豊かに暮らしていることを感じ取っていただきたいのです。たとえば、Iターンで来ている若者が、この町で結婚して家を探そうとしている、そういう話を聞くだけでも面白いと思います。

 キーワードは「感動」です。人やもの、歴史を通して、お客さま一人一人に、どんな感動価値を与えることができるのか、それを柱に考えていきたい。私たちの暮らしの豊かさや誇りをどう表現していくか、住民もまた努力していく必要があるだろうと思っています。

 観光客が「町の器」を超えない

 今、この町には約80軒の空き家があります。私たちは、この空き家をできるだけ活用して宿泊施設や学校の教育施設として再生させたい。そしてお客さまは、こうした施設で過ごして町の人たちとも関わりを持ってもらいたいと考えています。ですから生活観光は「関わり観光」と言ってもいいかもしれません。

 これは、いわゆる観光地としての見どころや名物がなくても、どこの地方でもできることではないでしょうか。

 そのときに重要なのが「キャパシティー」の問題です。私たちは世界遺産登録直後に、町に訪れる人の数が、町の器以上になってはいけないということをいやというほど思い知らされました。年間通して、標準的にお客さまに来ていただくしくみをつくる。これが生活観光のポイントです。

 世界遺産に登録された年に、ここを訪れた人は約70万人。これは異常です。そこから考えると、年間通して30万人ぐらいがちょうどいいのではないかと町民同士で話しています。季節によって変化があったとしても、その波をレストランもお菓子屋さんも理解し、みんなが持続できるしくみをつくっていけるのが望ましいですね。

 行政や企業と連携した町づくり

 私たちの会社でも生活観光をおし進めるために、「石見銀山生活観光研究所」という子会社を立ち上げ、石見銀山生活文化研究所から、不動産や宿泊施設などの観光事業を引き継ぎ、行政や企業と連携しながら新しい町づくり事業を始めました。

 民間が本来、行政の担うべき仕事にまで踏み込んでともに創る。つまり官と民が「共創」して新しい集合体をつくる時代に入るでしょう。

 そのときに大切なことは、目先の利益ではなく、感謝や利他の精神。こういった人間本来の心のあり方が求められるのではないでしょうか。この町の歴史教育資源を生かし、教育的環境、施設、人財を活用し、経済至上主義から人間性向上主義、と取り組んでいきたいと思います。

 松場 登美(まつば・とみ)

 「石見銀山生活文化研究所」所長

 1949年、三重県生まれ。株式会社「石見銀山生活文化研究所」代表取締役。服飾ブランド「群言堂」デザイナー。1981年、夫・松場大吉の故郷、島根県大田市大森町に帰郷。1989年、町内の古民家を改装し、「コミュニケーション倶楽部 BURA HOUSE(ブラハウス)」をオープン。以降、数軒の古民家を再生させる。1994年、服飾ブランド「群言堂」立ち上げ。2003年、内閣府・国土交通省主催「観光カリスマ百選選定委員会」より観光カリスマに選ばれる。2006年、文部科学省・文化庁より文化審議会委員に任命される。2007年、内閣官房・都市整備本部より地域活性化伝道師に任命される。2008年、日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2008 総合3位」に選出される。株式会社「他郷阿部家」設立。2011年、株式会社「石見銀山生活文化研究所」代表取締役に就任。2021年、「令和2年度ふるさとづくり大賞」内閣総理大臣賞受賞。『群言堂の根のある暮らし-しあわせな田舎石見銀山から』(家の光協会)、『なかよし別居のすすめ-定年後をいきいきと過ごす新しい夫婦の暮らし方』(小学館)など著書多数。

 (「石見銀山生活文化研究所」所長 松場 登美)(PRESIDENT Online)

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