山開氏はこれを受けて20年4月に入植を決め、35ヘクタールの農地でキャベツやネギなどを栽培する。
ところが、ようやく農業が軌道に乗った22年12月、5年間の開門調査を命じる福岡高裁判決(24年12月)が出た。山開氏は高裁での意見陳述を求めたが、最後までその機会を与えられなかった。「われわれが負けたんじゃない。国が負けたんだ」。いつまでも悔しさが消えなかった。
それでも確定判決は重い。農水省は今年9月9日、9月27日、10月28日の3回にわたり開門対策工事の着手を試みた。山開氏は他の住民らとともに身体を張って着工を阻止した。
それだけに今回の長崎地裁の決定は身震いするほどうれしいが、高裁判決を確定させた菅直人元首相への怒りはなお消えない。「彼は政治判断で決着をつけると言ったが、決着はつきましたか? 逆でしょう。政府は今度こそ今回の決定を重く受け止めてほしい」
諫早市仲沖町の町内会長、石原忠幸氏(71)も原告団に加わった。
諫早湾は昔から満潮と豪雨が重なると、本明川の水が行き場を失い、市街地にあふれ出した。潮受け堤防が諫早湾奥部を締め切ったおかげで、その不安はほぼ解消されたが、再び開門すれば元の木阿弥となる。