--来なかったのか
吉田氏「はい。私は記憶がないんだけれど、24時間駐在で来られるようになったのはもうちょっと後だと思います」
--保安院から所長に直接、今どういう状況かみたいな電話はないのか
吉田氏「ないです」
〈13日には3号機の爆発を避けようと、建屋にたまった水素を抜くためのブローアウトパネルの開放が検討された〉
--保安院からの指示として、パネルを具体的にどうしようかという話はしていたのか
吉田氏「していました。パネルを開けないといけない。だけれども、(19年の)中越沖地震で(柏崎刈羽原発のパネルが)がたっと落ちて開いてしまったから、開きづらい方向に改造していたんです。どうしようもないわけですよ。だったら保安院来てやれ、馬鹿野郎と言いたくなるわけですよ。こんな腐った指示ばかりしやがってと。いまだにこのときのことはむかむか来ます」
--保安院の出先の事務所は
吉田氏「このころはもういません。1人もいないです」
〈菅直人首相ら官邸からも吉田氏に電話が入った〉