清原和博容疑者(48)はPL学園高校時代、昭和58年から甲子園大会に春夏合わせて5度出場し優勝2度、準優勝2度。1年生から4番打者を務め、エースで同学年の桑田真澄氏(野球解説者、元巨人)とともに「KKコンビ」と呼ばれた。甲子園での通算13本の本塁打記録は、現在も破られていない。
昭和60年にプロ野球西武にドラフト1位で入団。高卒新人としては最多の本塁打31本を放ち、新人王に輝いた。入団2年目の日本シリーズでは、入団を熱望しながらドラフトで指名されなかった巨人と対戦。優勝を目前にし、守備位置で涙を流したエピソードもあった。その後、西武在籍の11年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一に4番打者として貢献。3番秋山幸二氏との「AK砲」として恐れられた。平成8年オフにはフリーエージェント(FA)で巨人に移籍。18年に自由契約となり、オリックスに移籍、20年に現役を引退した。
現役時代は通算2338試合で打率2割7分2厘。通算本塁打は史上5位の525本、安打数は2122本。首位打者を含む主要3部門のタイトルはなく「無冠の帝王」とも呼ばれたが、オールスター戦最多の7度の最優秀選手(MVP)に選ばれるなど大舞台の強さで人気を集めた。