加藤紘一・自民党元幹事長が死去 「YKKトリオ」「加藤の乱」 (1/3ページ)

2016.9.10 22:30

山形の自宅兼事務所が放火された事件の直後に取材に応じる加藤紘一氏=平成18年8月(小松洋撮影)
山形の自宅兼事務所が放火された事件の直後に取材に応じる加藤紘一氏=平成18年8月(小松洋撮影)【拡大】

  • 「加藤の乱」の際、谷垣禎一氏(右)に本会議への出席を止められる加藤紘一氏=平成12年10月
  • 加藤紘一氏=千代田区、平成26年3月28日(原田史郎撮影)
  • 山形県鶴岡市の自宅が右翼団体の男に放火された事件の直後にインタビューに応じた加藤紘一氏=平成18年8月(小松洋撮影)

 自民党幹事長を務め、党内リベラル派として自社さ連立政権を支えた加藤紘一(かとう・こういち)氏が9日午後0時45分、肺炎のため都内の病院で死去した。77歳。山形県出身。自民党関係者が明らかにした。

 東大卒業後、外務省勤務を経て昭和47年の衆院選で初当選。13期務めた。

 首相を目指し、加藤派の領袖として一時は有力候補と目された。しかし、平成12年に森喜朗内閣の倒閣を目指す「加藤の乱」を起こしたが敗れ、挫折した。

 昭和59年に第2次中曽根康弘内閣で防衛庁長官に就任。平成3年には宮沢喜一内閣で官房長官を務め、国連平和維持活動(PKO)協力法成立に尽力した。この頃、小泉純一郎元首相、山崎拓元自民党副総裁と「反経世会(旧竹下派)」を掲げてYKKトリオを結成した。中国要人とのパイプが太く、日中友好協会会長を務めた。

 政界から加藤紘一氏の死去を悼む声

 政府や自民党の要職を歴任した加藤紘一氏の死去を悼む声が10日、政界から相次いだ。

 森喜朗元首相は取材に「外交が混乱している今のような時代にこそ、外交通として安倍晋三首相を支えてほしかった。まだまだ活躍できたはずなのに残念だ」としのんだ。

森内閣不信任決議案に同調する動きを見せた平成12年の「加藤の乱」…

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