レッジョ・エミリア教育では、子どもには全てがある、という前提から始まる。子どもは大人の不完全版であるから未熟だ、という考え方と逆である。大人は子どもが既にもっているものをひきだしていく手助けをする。
レッジョ・エミリア教育のコンセプトを作ったのはローリス・マラグッツィだ。彼は子どもには100の言葉があるが、大人は「これはいい」「あれはだめ」と一つ一つ諦めさせ、子どもたちが皆、同じような方向を向くのが「大人になる」ことになっていると批判している。
画用紙にゾウの大きな鼻だけが描いてあるのは、子どもにとってその鼻があまりにインパクトがあるからだ。それを「ゾウの大きな身体をこう画用紙の真ん中に描きなさい」と指導するのは、子どもの見方を均一化する。
「子どもにはクレヨンを与えて好きに描かせればいい」というのは、子どもの感じ方に対して鈍感なだけでなく、子どものもっている力を見くびっている。こうレッジョ・エミリア教育では考えている。
この教育では美的要素をとても大切にする。あえて審美眼とは言わないでおこう。人は何かを判断する時、全てドライなロジックだけを基準にするわけではないことをベースにおいている。ロジックと美的判断あるいは感性は、自転車のペダルのような関係にある、との比喩をマラグッツィはよく用いたという。