旧条約では、2つ以上のテーマで開く大規模博の「一般博」と、特定のテーマに絞った小規模の「特別博」があった。70年の大阪万博は一般博。沖縄海洋博(75年)、つくば科学万博(85年)、大阪花博(90年)は特別博だった。88年に条約が改正され、一般博は登録博に、特別博は認定博に衣替えし、登録博は5年ごとの開催となった。
ただ、加盟国の批准が遅れ発効は96年7月に。愛知の立候補はその3カ月前だったため、旧条約で行われた。一般博は10年以上の間隔をあけるとの定めがあったが、2000年にドイツ・ハノーバーで一般博が予定されており、05年開催には一般博で立候補ができない。そのため「格下」の特別博での立候補になった。
新条約の発効後、登録博に認められるよう要望するなどの議論があったが、BIEは1996年12月の総会で特別博の枠組みで行うと決定した。経産省は「当時は混乱していた。経産省として登録博にしてもらうよう要望はしていない」と話す。
一方、外務省のホームページ(HP)では「登録博」とされ、愛知県も同様の認識を示す。外務省は「(どちらという)詰めた話はしていない」としながらも「登録博だと認識してきた。対外的にそうアピールしてきたはず」。県は「経産省、外務省で見解が割れているのは承知している。それぞれの考えで表明していると思うので何も言えない。県は登録博だと思っている」。
BIEのHPでは愛知万博は認定博(特別博)の項目に入っており、認定博と位置付けているようだ。
愛知のプライド
愛知万博は88年に県が構想を発表。名古屋市が誘致を競ったソウル五輪が開かれた年だった。開催を勝ち取るまでの約9年間、コンセプトなどの修正はあったものの、一貫していたのは「大規模博覧会」開催だ。