タリス(2)オフィスは“紅い列車” ジャージで働くクリエイター達

江藤詩文の世界鉄道旅
ひと際目を引くビジュアルのタリス

 静かな車内には、カタカタカタカタッと、パソコンのキーボードを叩く音だけがこだましていた。私の隣り、窓際に座った茶色の長い髪の眼鏡をかけた女性は、窓枠に肘をつき頭をもたせかけるようにして熟睡している。車窓を眺めようにも視界を確保できず、満席で通路にまでスーツケースがはみ出した列車内をうろうろするのも気が引ける。所在ない気分で手慰みにスマートフォンをいじっていた。

 出発してほどなくすると、車掌が検札にやって来た。グレーのパンツスーツに身を包んだ、おそらく50代の女性。同色の布地にワインレッドの縁取りのついた帽子をちょっと斜めにかぶり、強くウェーブした金髪を肩まで伸ばしている。「ありがとうございます。どうぞよい旅を」。乗車券を確認すると、小さな声できれいな英語をひとこと残し、きびきびとした足取りで去っていった。

 そのすぐ後、またもや女性がやって来た。何やら書類をクリップしたボードを持っている。彼女は英語をあまり話さないらしい。「オランダ語を話しますか」と問われたけれど、あいにく私がわかるオランダ語は「ヤー(はい)」「ネー(いいえ)」「アルコール」くらい。助け船を出してくれたのは、通路を挟んで隣りに座った男性だ。「あなたがスマートフォンを使っているから、Wi-Fiの使用感ついてアンケートをお願いしたいそうですよ」。

 タリスは今年の4月に新しいハイスピードWi-Fiシステムを全車両に搭載した。それに伴って、これまでは乗車券の種類によって有料だったインターネットが、座席クラスを問わず全席で利用できるようになった。試しにアクセスしてみると、メルアドを登録するだけと簡単なステップで接続できる。列車にしては状態が安定しているから、出勤中のビジネスマンは車内でも寸暇を惜しんで仕事をしているわけだ。

 件の男性も、これから仕事のミーティングに向かうところだという。しかしスーツをきちんと着込んだビジネスマンが多いのに、なぜか私の隣りはふたりとも部屋着みたいなスウェット姿。私の視線に気づいたのだろうか。「くつろいだファッションで仕事するのが一番」と言う。企業に属さず、場所や時間に縛られずに働くフリーランスらしい。日本でも注目された“ノマドワーカー”だ。

 「ノー・スーツ、ノー・オフィス、ノー・ルール」と笑う彼。“ルージュトレイン”が仕事場なんて、なんだかとってもうらやましい。

■取材協力:ベルギー・フランダース政府観光局

■江藤詩文(えとう・しふみ) 旅のあるライフスタイルを愛するフリーライター。スローな時間の流れを楽しむ鉄道、その土地の風土や人に育まれた食、歴史に裏打ちされた文化などを体感するラグジュアリーな旅のスタイルを提案。趣味は、旅や食に関する本を集めることと民族衣装によるコスプレ。現在、朝日新聞デジタルで旅コラム「世界美食紀行」を連載中。ブログはこちら