幼い弟と妹の母親代わりをしながら、母が入院中は毎朝6時には病院に行きました。大学受験は失敗し、浪人することに。母は4カ月後、リハビリ専門の病院に移り、翌年の2月に退院したんです。
当時は在宅介護の情報がなく、試行錯誤でした。家も狭くてバリアフリーではなかったので、母が車椅子で移動するのも大変。街中も段差がたくさんありましたが、買い物などなるべく母を外に連れ出しました。車椅子でも「母は母」。母との生活は私にとって普通のこと。隠すことではなかったんです。
1浪後、大学に進学し、夢だったアナウンサーになりました。人前で話すことが好きでしたが、自分が伝えたいことが、母の介護を通じて明確になった。障害を持つ人が地域で普通に暮らすこと。老いや病気、介護は誰にでも起こる可能性があること。「もし自分だったら」と、多くの人に考えてもらうきっかけをつくりたいと思ったんです。