母も私がテレビに出るのを喜んでくれて。でも、アナウンサーとして働きながら介護を続けていた平成10年、母が末期の子宮頸(けい)がんであることが分かったんです。がんはステージIIIb。骨盤やリンパ節にもがんが転移して手術もできない状態。統計的には余命半年、と説明されました。
後にがんの取材をするようになり、早期なら死ぬことのない病気と分かりました。「気づいてあげられなかった」と大きな悔いが残り、今も立ち直れていないですね。
在宅介護で看取(みと)ることは家族で決めました。病院は非日常の世界。母が唯一、自由に過ごせる家に戻ってきてほしかった。地元の総合病院に緩和治療科があり、訪問看護を受けることができました。この頃、父の胃がんも分かりましたが、早期で手術をすれば回復するということでした。
母ががんと分かってから1年半がたった11年11月。18日は母の50歳の誕生日でしたが、誕生日を迎える前、母が激しい痛みに苦しみ始めました。痛みから救うため、モルヒネを使うことを決断。モルヒネを使うと意識のある状態には戻せない。でも、在宅介護を決めたときから延命措置はしないと決めていたんです。
9日、自分の部屋にいると、「意識が戻ったみたい」と叔母に呼ばれました。母は、それまでは目は何も見ていないようでしたが、目に正気が戻っていた。最期に父を見て、ほほ笑んだんです。