人前で話すのが苦手だった勝也さんは、子供たちにはそうなってほしくないと、常々言っていた。その言葉を受け、蔵之介さんは自分の人見知りする性格を直そうと大学在学中に演劇を始め、魅力に取りつかれた。
残された晃さん。25歳のとき、産業機械販売会社を退職し、佐々木酒造に入社した。「そのうち兄が諦めて戻ってくると思い、自分は留守番のつもりで家業に就きました」。勝也さんは蔵之介さんが俳優になった当初、「道を誤った」と肩を落としていたが、今ではCMで共演するなど理解を示している。晃さんも「蔵を離れてもいつも気に掛けてくれる2人の兄とは一緒に蔵を守っていると感じています」と話す。
晃さんが入社した当時は昭和40年代後半から続く日本酒の消費量低迷期。次々に酒蔵が廃業していく中で業界に対する不安があった。
そこで販路を拡大するため、前職の経験を生かして営業に走り回った。「ようやく全国の人に飲んでもらえるようになったかな」と笑う。職人肌で商売は苦手という勝也さんは何も言わず、息子の自由にさせてくれたという。