鉄道沿線で宅地を開発し、急速な工業化で住環境が悪化していた大阪都心を「空暗き煙の都」と呼び、郊外への住宅地への住み替えを促すことで通勤客を増やした。そのときに「家賃並みで家が買える」と現在の住宅ローンの仕組みを考案したことでも知られる。
沿線で娯楽施設やターミナルに隣接する百貨店を創業するなどして旅客需要を創出する私鉄経営モデルを確立した。兵庫県宝塚市のレジャー開発では日本初の室内プールを建設したが、温水でなかったため客入りは不発に終ったが、そのプール設備を宝塚歌劇場に再利用したエピソードはドラマでも紹介されている。
ライバル
ドラマでライバルとして描かれていた阪神は設立も営業開始も阪急より早い。
阪神は明治32年に設立され、その6年後に初めて全線が電化された本格的私鉄として大阪-神戸で営業を始めている。一方で、小林氏らが箕面有馬電気軌道を設立したのは明治40年だ。その3年後に宝塚本線(大阪・梅田-宝塚)と箕面支線(石橋-箕面)を開業させた。大正9年には、阪神と並走する神戸本線が開業し、神戸進出を果たした。