クリーク・アンド・リバー社プロフェッサー事業部長の倉本秀治氏。【拡大】
その経緯について、同社プロフェッサー事業部長の倉本秀治氏は「C&R社の井川幸広社長から『博士号を持っている人を人材紹介できないか』と打診されたことがきっかけです。私自身、1997年に九州工業大学で情報工学の博士号を取得しています。その後、文部省(現文部科学省)や科学技術庁(同)で原子物理の研究に従事しましたが、結果的にはアカデミックの道を断念。その後、日立やトヨタ、サムスン日本研究所と民間企業の研究開発部門で働きました。官民の両方に土地勘があることが買われたようです」と説明する。
倉本氏のようなキャリアでも、日本の大学で正規の教員の職に就くことはむずかしいということだ。ではなぜ、そのような事態に立ちいたってしまったのか……。
そもそもは、1995年に施行された第1次科学技術基本計画に端を発する。そこでは「ポスドク1万人計画」を掲げ、高度な知識と技能を有する博士を数多く輩出しようとした。時代はちょうど、バブル経済が崩壊し“失われた20年”に入ったばかり。この計画で基礎研究の現場に厚みを持たせることで技術立国・日本の再生を図ろうとしたのである。