バカほど「それ、意味ありますか」と問う 若者の思考レベルが「劣化」している (3/3ページ)

画像はイメージです(Getty Images)
画像はイメージです(Getty Images)【拡大】

 ある夏、講義のために教室に入った。冷房装置の故障で酷く暑かったので、100人を超える学生らに「窓を開けろ!」と叫んだ。授業後、最前列の学生らに「なぜ開けなかったの?」と尋ねたら、「誰も開けようとしないのに自分がやるのはどうかと……」と返された。「暑いから開けようよ」と周囲に呼びかけて開ければいいだけなのに、意味不明。KYかも、周囲から浮くかも、と不安がるあまり、自分にも周囲にも不利益が生じても、まともに行動できないのだ。Oops!!

 この種の逸話には事欠かない。私は30年近く、講義の試験を「自分で問題を作って自分で答える」という形式で一貫してきた。答案は原稿用紙4枚分。その答案のレベルが年を追うごとに下がってきた。80年代に「詰め込み教育」が批判され、90年代以降は「自分で考える力」の養成が目指された。だが皮肉にも以前のほうが「自分で考える力」があった。

 学問の基本は武道や演奏と同じ

 なぜか。かつての教育は暗記全盛だった。追いつき追い越せの後発近代化国だったからだ。帝国大学出身の父も論語やルター訳聖書を諳んじていた。私もそうした教育を受けた。麻布中学に入るや「数学は暗記物、お前らが考えるなんて10年早い」と教員に怒鳴られた。暗記で引き出しを増やさなければ思考しても意味がないという考え方を叩き込まれた。

 学問の基本は武道や演奏と同じだ。基本動作を反復訓練して「自動機械」のように動けるようにする。そこに意識を使わなくなる分、意識に新しい役割が与えられる。「自動機械」化した自分から幽体離脱し、自分に寄り添って観察する。これを「意識の抽象度の上昇」という。

 昨今の若者は「何の意味があるのか」と合理性を問い、合理性がないことをしない。確かに企業内には不合理にみえることが多数ある。だが企業人の初心者が逐一合理性の有無を問うても無駄。合理性を問う前に、先行世代のマナーやルールを自動機械のように振る舞えるくらい身につけたほうがいい。思考する価値のある問題に注力するのはそれからだ。自分はできもしないのにマナーやルールの合理性を問う者は、思考レベルが低い。

 抽象度を上げた意識から見れば、「合理的なものが非合理で、非合理なものが合理的だ」という逆説はザラだ。若者が合理性を問うてきたら、そうした世の摂理を開陳すればいい。先行世代自身も自分を見直す機会になる。合理性は高い抽象度で判断するべきものだ。

 宮台真司さんに学ぶ「30代の心がけ」3カ条

 1. 「仲間はずれ」を恐れてはいけない

 主体的な行動をとって、「他人の目線」から自由になれ。

 2. 他者に対して想像力を働かせろ

 「指示待ち人間」を脱して、みずから問題提起をしろ。

 3. 必要なことはまるごと「暗記」しろ

 暗記しておくことで、はじめて思考する余裕ができる。

 (社会学者 宮台 真司 構成=中野 慧 撮影=村上庄吾)(PRESIDENT Online)