「世界は狭い」と感じることは現代人、特にビジネスパーソンにとっての実力である…そう思う人たちが「6次の隔たり」を支持している可能性はある。
基本的に、ぼくは「世界は狭い」と積極的に言いたくない。前述したように、限定された分野であれば、世界中のそれなりの数の人と何人か挟めば繋がれるという感触はある。リンクトインのような仕事を核としたソーシャルネットワークでは、特にそれを感じる。
しかし、あくまでも限定された領域である限り、世界を狭くして「世界は狭い」と言っているに過ぎない。
もちろんそれ以外でも、「世界は狭い」と思うことは多々ある。
たまに飛行機の中で隣の人と長時間話していると、どこかで縁が見つかったりすることもある。しかし、もともと似たような行動パターンの範囲内にある人である、と考えるのが妥当だ。
あるいは暇に任せて根掘り葉掘りお互いに他人の生活を聞き合うしかない、というあまりスマートではない会話によって接点を見出した結果だ。「世界を狭い」とするには、田舎のオバサン的な図々しさも必要条件になるかもしれない。
偶然に会う人たちをなるべく必然にもっていく、「あなたと会うべくして会ったのですね」との説得材料とも位置づけられる。
と、こう「世界は狭い」に冷淡な物言いをしてきた。