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あいにくだが、私はこの若者を批判する気になれない。彼なりの素の感想なのだろう。さらに言うならば、中年として、若者が夢を持てるような社会を創ることができなかったことに反省したりもする。いや、中年はよく就職氷河期世代だとか、ロスジェネと括られ、自分があたかも被害者のように振る舞ってしまうのだが……。もうすでに社会に出て20年も経っているのも事実だ。
◆現実に向き合い続けるのが中年だ
もっとも、中年に期待されるのは、この国を憂うことでも、そこから逃げ出すことでもなく、当事者として向き合うことなのである。家庭もあれば、住宅ローンもある。親の介護もある。そういう現実的な問題もあるのだが、とはいえ、向き合い続ける。この覚悟と、しなやかさこそ中年の本質である。
「ちょ、待てよ」と言っている場合ではない。いや、言ってもいい。そう思いつつも、現実には向き合い続けるのだ。この世が無理ゲー、クソゲーでも、立ち向かうのが中年だ。
若者が中国に行って衝撃を受けるのもよく分かるが、我々は様々な国や企業の栄枯盛衰も知っている。「これからは○○に変化する」と言われて、変わらなかった体験も随分してきた。別に国と一緒に滅びるのではなく、向き合う。「BE THERE」の精神なのだ。「さよならなんかは言わせない」のだ。
何か新しいことを若者が言い出すたびに、虚しさ、悲しさも感じる。というのも、人口が我々よりも少ない彼らが何かを言ったところで、会社も社会も変わらないからだ。もちろん、若者の希少価値が増しているがゆえに、彼らを大切にしようという動きもあるのだが。
というわけで、わたしたちは常に「BLOWIN'」なのだが、常に「ねがい」を捨てずに前に進むのだ。
◆上を向かなくてもいいから、前を向いて歩くのだ
先日、大学のクラス会に参加した。私が通っていた大学では、当時、一般教養課程で英語と第二外国語が必修だった。その語学クラスの集まりが未だに続いている。大学1年生からだから、もう24年の付き合いだ。そういえば、今年で卒業して20年になる。