西郷、大久保、島津…なぜ明治維新の立役者たちはウソをつき、許されたのか (2/4ページ)

 三百諸侯が治める日本も、状況は全く同じでした。封建制を改め、中央集権的な国民国家をつくる以外に、日本の植民地化を防ぐ道はないと、斉彬は気付いたのです。

 ところが幕藩体制のもとでは、島津家のような外様の大名には発言権がない。ましてや当時の斉彬は、父である藩主、島津斉興(なりおき)の反対で、藩主にすらなれずにいました。

 そこでウソをつくわけです。

 旧幕府を挑発して、戊辰戦争を起こす

 1849年12月、薩摩藩でお由羅(ゆら)騒動と呼ばれるお家騒動が起きます。次期藩主に斉彬を推す一派と、異母弟の島津久光(ひさみつ)を推す一派が対立し、斉彬派の人々が腹を切らされたり、流刑や蟄居(ちっきょ)といった処分を受けました。でも、お由羅騒動を煽ったのは、実は斉彬だったのではないか、と私は見ています。

 そもそもお由羅騒動の前に、斉彬は自らの藩主就任に反対していた家老・調所(ずしょ)笑左衛門(広郷)を、藩が琉球との間で行っていた密貿易を幕府に密告することで自殺に追い込んでいます。騒動は結局、徳川幕府の老中・阿部正弘の助けもあり、斉興の隠居で決着しました。

島津斉彬 密貿易の「密告」で反対派を一掃●自らの藩主就任を妨害していた家老・調所笑左衛門を自害に、藩主であった父・斉興を隠居に追い込む(近現代PL/AFLO=写真)(PRESIDENT Onlineより)

島津斉彬 密貿易の「密告」で反対派を一掃●自らの藩主就任を妨害していた家老・調所笑左衛門を自害に、藩主であった父・斉興を隠居に追い込む(近現代PL/AFLO=写真)(PRESIDENT Onlineより)

 それもこれも、一刻も早く自らが薩摩藩主になるためでした。それは私利私欲ではなく、「日本の国を救うためにはこれしかない」と、斉彬が信じていたからです。

西郷どんもやっていた“ウソ”