西郷隆盛も同じようなことをやっています。1867年、「討幕の密勅」〈実はこれも、岩倉具視(ともみ)らによる偽造文書です〉が薩摩に下された翌日、徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還を宣言しました。当時の朝廷の経済力は10万石、対して徳川幕府は公称800万石、実質400万石。このままでは、新政府ができても徳川家が実権を握ることは避けられません。
新しい体制をつくるには、戦争をして旧幕府を打倒する必要がありました。そこで西郷は、配下の薩摩藩士らに密命を与え、江戸市中で放火や殺人、強盗などのテロ活動(薩摩御用盗事件)を展開。ついには市中の取り締まりを担当していた庄内藩の屯所(とんしょ)に鉄砲まで撃ち込み、薩摩藩邸焼き討ち事件を誘発させます。これが戊辰(ぼしん)戦争の引き金となり、最終的には明治新政府の誕生につながるわけです。
鳥羽・伏見の戦いでひるがえったという錦の御旗。あれも公家の岩倉具視が中心となり、大久保利通と長州の品川弥二郎がでっちあげたものです。「見たことはないが、たぶんこうだろう」と、買ってきた西陣織の布で作ったのです。
そんな代物でも、錦の御旗が上がったという情報で旧幕府軍は戦意を喪失。態勢を立て直そうと向かった淀藩からは入城を拒否され、近くを固めていた津藩からも、賊軍扱いされて大砲を撃たれてしまいます。これは大変だと大坂城に帰れば、慶喜はすでに逃げ出して江戸に向かっている。みんな錦の御旗という「ウソ」にやられたわけです。