希少がんと共に生きる

「余命」をリアルに考える 今読み返す闘病日記 (3/4ページ)

 同病院での初診は平成29年1月5日。日記には「娘がパパを助けてくれると信じている」と書いてある。がん細胞が小腸を破って腹膜に無数に散ってしまったため、手術ですべてのがん細胞を取り切ることはできなかった。このため、わらをもすがる思いで抗がん剤治療に賭けた。

 その抗がん剤、中でも点滴で投与し続けたプラチナ製剤「オキサリプラチン」の副作用は想像を絶する辛さだった。同年2月には「外は寒風が吹きすさび、両手がしびれ、目が開けられないくらい、まぶたがしびれ、かなりきつかった」、「点滴から1日たっても朝から吐き気。水道で手を洗ったり、冷たい空気に触れたりするとかなりしびれた」などとつづっている。

 足もしびれ、痛みで歩けない日も多かった。喉は石が詰まっているような感覚になり、食事が思うように通らないのは日常茶飯事。手の指の関節部分の皮膚がすべて切れ、痛みでパソコンを打つのは困難を極めた。同年春ごろにはこう筆を走らせている。

 「ものの本には『クオリティー・オブ・ライフを優先すべきだ』『無理して抗がん剤を投与すべきではない』といった趣旨のことが書かれていたが、何としても治したい僕としては、この考えには与さない。我慢してでもオキサリプラチンは続けたい」「副作用と戦うのはしんどいが、生き抜くためにはやむを得ない。これも運命なのだろう」「オレは絶対死なない」

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