「もう一度、故郷に行く」祖母に約束 福島県浪江町の門馬芹香さん
東日本大震災5年福島県浪江町の追悼式が11日、福島県二本松市で行われ、津波で祖母の安斉正子さん=当時(65)=を亡くした高校生、門馬芹香さん(16)が遺族代表として追悼の言葉を述べた。
「5年がたった今でも、ばばちゃんが亡くなったこと、津波で昔のような浪江の景色がもうないことを受け入れられない自分がいるのです」。緊張した面持ちながら、今の素直な気持ちを口にした。
当初は遺族代表として参列することに気乗りがしなかった。だが祖父に促され、正子さんに伝えていないことがたくさんあることに気づき、引き受けた。
「まだ、どこかで生きているんじゃないかなと思っている」
おばあちゃん子だった。福島県南相馬市の家から祖母宅までは車で30分ほど。小学校までは、母の七重さん(45)と毎日のように遊びに行った。正子さんは初孫の芹香さんが家に来るたびに、「芹香ちゃん、いらっしゃい」と、ぎゅっと抱きしめてくれた。
震災は小学5年生のとき。津波が町をのみこみ、東京電力福島第1原発事故が起こった。
一家は正子さんの安否が分からないまま、親戚のいる埼玉県入間市や、同級生が避難した新潟県聖籠(せいろう)町を転々とした。しかし、正子さんのことが気がかりな芹香さんは、新しい場所になじめなかった。通っていた小学校が再開すると知り、被災から2カ月後には南相馬の自宅へ戻った。
正子さんを確認できたのはその1カ月後の6月。4月に発見されていたが、DNA型鑑定に時間がかかった。「遺体はすぐ見つかっていたのに…」。家族は火葬に立ち会うことができなかったことを今も悔やむ。
あの時、140センチ程度だった身長は160センチになった。
「ばばちゃん、私はもう高校生になったんだよ」-。今も正子さんに話したいことがたくさんある。
今年、浪江町に正子さんの墓ができた。震災以降、浪江町に足を運んだことはなかった芹香さんは追悼式でこう誓った。
「気持ちの整理をつけ、もう一度、浪江に行こうと思います」(石野哲郎/SANKEI EXPRESS)
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