「自宅には定期的に警察官が立ち寄るので近づけない。家族と離れた長い逃亡生活はつらかったが、逮捕されれば上の人たちに迷惑がかかる恐れがあるので、逃げ続けるしかなかった」
うち1人が体調を崩し、病院に入院した際は、所用で病院に立ち寄った徳田氏が菓子箱を手に病室を見舞ったという。
忠誠尽くせば要職に
3人は逃走中もそれぞれグループの仕事を与えられ、寮を拠点に偽名で働いたほか、選挙運動にも駆り出されていた。
1996年の衆院選で、徳田氏が代表の自由連合は全国で88人もの候補者を擁立。その多くが選挙経験のない新人だったため、経験豊富な徳洲会グループ職員が各陣営に派遣された。逃走中の職員も兵庫、埼玉県の候補陣営に派遣され、偽名で選挙参謀を務めたという。