マラッカの司令官や司祭との確執で再三嫌がらせを受け、布教に使う船の調達に苦労したこともある。中国での布教を目指しながら本土上陸目前で死去。遺体は、セントポールの丘の上に一時安置された。
「聖人の死を悼む多くの人が、川沿いから丘に並び遺体を見送った」。チンはそう言うと、胸の前で十字を切った。
ポルトガルの後は、オランダ、英国が進出、町は幅数十メートルのマラッカ川の河口沿いに発展した。英国占領後、貿易の拠点はシンガポールに移り、活気は衰えた。
「皮肉だが、そのおかげでかつての国際都市の面影が残った」とチン。マラッカ川を中心にしたわずか1キロ四方に、カトリックやプロテスタントの教会、仏教寺院、モスク(イスラム礼拝所)がひしめく。
「マレーシアはイスラム教国だが、マラッカには多民族、多宗教の寛容さがある」