紛争地での対応に苦戦
1980年代の当時、政府は日本人が世界中に出て行き国際貢献をすることが必要だと考えていた。海外での医療活動が行える医師をそろえるために設立された国立国際医療研究センターに所属し、中国の中日友好病院に赴任した。88年には、日本で初めての紛争地支援として、パキスタンに派遣され、アフガニスタン難民の医療活動にあたった。
しかし、30代の若いNGOや国連スタッフに囲まれて、50歳手前の女性医師は苦戦した。
「病気についてであれば、私ほど知っている人はいない。でも、うまく働けなかった」
英語力の問題かと考えたが、違った。紛争地で必要とされていたのは、集団を診る「パブリックヘルス(公衆衛生)」。個人を対象に行ってきたこれまでの医療だけでは、紛争地に対応できなかったのだ。公衆衛生の重要性とともに、現場での経験の大切さを実感した。その後も、世界保健機関(WHO)や日本赤十字社で、国際医療の仕事を続けた。