幕末。天下に名高い医師がいた。佐藤泰然という。蘭方(西洋)医を志して長崎に留学した。31歳。3年間修業して江戸に戻り、開業する。
彼が歴史の舞台に登場するのは1843(天保14)年のことだ。房総半島の城下町、佐倉の本町に土地約1500坪を買って移り住んだ。代金は36両。この地に蘭医塾兼診療所「順天堂」を創設した。順天とは、天道、自然の理に従うという意味だ。
師走。寒い日。わたしはJRの電車に乗って佐倉を訪れた。城下町は台地の上に築かれている。旧家が立ち並ぶ蘭学通りを歩いていく。東のはずれに佐倉順天堂記念館が建っていた。りっぱな門をくぐる。館内には手術道具や手術代金表などが展示されている。往時をしのびながら、なぜ、佐藤泰然は江戸から佐倉へ移住したのだろうか-との疑問がわいた。佐倉在住の郷土史家、内田儀久さん(62)は「諸説あるが、藩主の堀田正睦(まさよし)が開明的で、西洋医学に理解を示したことが背景にあるようです」と語る。
順天堂では乳がんや白内障、虫垂炎など最先端の治療・手術を行った。名声は鳴り響いた。松前藩(北海道)や佐土原藩(九州)など全国の若者がはるばる旅して佐倉までやってきた。蘭学の地として「西の長崎、東の佐倉」と称えられるようになる。