「ぼく」という一人称を使う、チェットの語りの軽妙さが、読みはじめるやすぐに、読者を物語の中へといざないます。犬を飼ったことがある方なら、あるいは飼ったことがなくとも、親しく触れあったことがある方なら、一度は「この犬、今なにを考えているんだろう?」「どんな気持ち?」と、彼らの心情を推察した経験があるかと思いますが、語り手としてありながら、その語りの合間に挿入されるチェットの心が、まさしく私たちが犬に向けてきた「なにを考えているの?」に答えてくれています。実にかわいらしく、面白く、かつリアルで、まるで自分がチェットになって、バーニーのそばにいるかのようです。
集中できなくても自然
ミステリーとしても、犬を相棒、語り手とするのは、実に巧みなやり方です。人間の相棒ならば、「この会話は聞き逃せない」「この場所は目を凝らして観察しなければいけない」というシーンがあれば、必ずそうするでしょう。ミステリー的な引っ張りのために、それをしない展開にもっていこうとすれば、理由が必要になります。理由がうまくないと、無理やり感が出てしまい、興がそがれます。