小学3年生から大会に出始めると、祖父の勝利さんは「1番じゃなければビリと一緒」と教え続けた。小野塚は大会で賞状をもらっても、優勝でなければその場で折ってしまうようになった。「賞状はかなりもらったけど、2位以下は折り目があって飾れない」と母のゆかりさん。勝ちにこだわる姿勢はこうして育まれた。
全日本学生選手権アルペン大回転で優勝するなど活躍し、大学卒業後はスキーの指導を職とした。転機は2011年。趣味で楽しんでいたスキーHPが五輪種目に決まる。「アルペンは国内レベルだったけど、これなら世界を目指せる」と転向を決めた。母に「ソチに行くから」と告げた。定期収入がなくなる娘に両親は猛反対したが意志を貫いた。
子供の頃から父、史朗さんの指導でジャンプの練習もしており、跳ぶことへの度胸はあった。大学生まで続けたアルペンで加速する技術を養ってきた。それが今、パイプの中での圧倒的なスピードを生み、壁の縁から高く跳ぶ持ち味につながった。
新種目ゆえ昨季まで代表チームは編成されず苦労もあった。活動資金を後援会に頼り、コーチも付けず単身で海外を転戦。遠征先の移動の手配は自力で行い、外国チームの車に同乗させてもらったこともある。深い藪を一人かき分けるようにいばらの道を進んできた。