なんというか、写真行為という作為の向こう側にあるものをつかもうと、もがいているようなすがすがしさを写真集から感じたのだ。「なぜ写真を撮るのか?」ということを常に自分にぶつけながら、「生きる」ということと「撮る」ということを同化させたいと願う高橋。そんな彼が、震災を目の当たりにして、このようなプロジェクトに、持てるだけの時間と労力をささげ続けることができたのは、彼自身の写真性と深く呼応しているようにも思えた。人が生きていくのに写真の力は必要なのだろうか? 高橋は、このプロジェクトを通じて問い続ける。
プロジェクトの始発点は、福島県との県境に近い宮城県亘理郡山元町にある小学校の体育館だった。その中にはずらりとプラスチックのケースが並び、ケースの中にはアルバムや流された写真がいれられていた。災害支援の活動中に自衛隊や消防などが集めたという膨大な量の写真は、約75万枚という途方もない数。それらの写真を、洗浄し、データ化する「思い出サルベージ」プロジェクトのボランティアとして、東京に暮らす高橋は自身と震災の結節点をみつけてゆく。
津波に流され、泥のついてしまった写真を、慎重に水につけながら、ハケで優しくこする。そうやって洗浄した写真は、日影で乾くまで干し、次にデータ化の行程にまわされる。