シューベルトは1797年、ウィーン近郊のリヒテンタールで生まれた。父親テオドールはモラヴィアの農家の出身だが、補助教員からこつこつと働き、初等学校の校長に上り詰めた。父親の手ほどきで音楽をはじめ、才能を認められ、宮廷直属の全寮制神学校コンヴィクトに入学する。ちなみに、入学を推薦したのは映画「アマデウス」でモーツァルトを毒殺した(もちろんフィクション)宮廷楽長のサリエリだった。
有能な官吏や芸術家を輩出したコンヴィクトでは、少年合唱隊員として宮廷教会で合唱する義務を担う。これが現在のウィーン少年合唱団の前身だ。このコンヴィクト時代の友人や、シューベルトの音楽を愛する人たちで作られたグループが「シューベルティアーデ」。シューベルトの作品はもっぱら、ディレッタントが集まるシューベルティアーデで発表された。
交響曲「未完成」の謎
ところで、オーケストラのレパートリーとして人気の高い交響曲第7番「未完成」。本人が付けたわけではないが、「未完成(英語ではアンフィニッシュド・シンフォニー)」というタイトルが意味ありげに想像力をかき立てる。