ハリコフ中心部の自由広場で行われたマレーシア機撃墜事件の追悼コンサート。チャイコフスキーの「悲愴」の旋律が夕空に響き、背後ではレーニン像が厳かな儀式を見守った=2014年、ウクライナ・ハリコフ州(佐々木正明撮影)【拡大】
「ここは全くの平穏。今度は家族と来たらいい。森の中でキャンプしたり、湖の畔(ほとり)で水遊びしたらきっと楽しいよ」
運転手が「平穏」を強調したのは理由がある。ハリコフは現在、親ロシア派武装勢力と政府軍が激しい戦闘を続けるドネツク、ルガンスク両州と隣接し、5月には、そのあおりを受けて、市長の暗殺未遂事件が起きるなど緊迫した時期があった。
そして、東部情勢の混乱に追い打ちをかけるように、世界を震撼(しんかん)させたマレーシア機撃墜事件が7月17日に起きたのである。ウクライナ政府は、現場に近い地の利を考慮に入れ、平穏を取り戻したハリコフに、撃墜事件の対策センターを置いた。
撃墜事件で報道陣集結
ハリコフには国内外のメディアの記者やカメラマンが集結していた。その人数は200人以上。報道陣は、犠牲者を出したオランダ、マレーシア、オーストラリアなどから派遣された航空機事故の専門調査官や、遺体の身元判明を行う科学捜査官らの動向を追っていた。ハリコフ(ウクライナ語ではハリキウ)の名は一斉に報じられ、一躍、世界的に知られた都市になった。