ハリコフ中心部の自由広場で行われたマレーシア機撃墜事件の追悼コンサート。チャイコフスキーの「悲愴」の旋律が夕空に響き、背後ではレーニン像が厳かな儀式を見守った=2014年、ウクライナ・ハリコフ州(佐々木正明撮影)【拡大】
事件発生から5日後、犠牲者の遺体が、冷蔵施設が施された特別列車で墜落現場から搬送されてきた。一時保管場所になったのは、ソ連時代からこの町の一大産業だった軍事産業の施設。外部から遮断された戦車工場の敷地内で、派遣調査団だけが立ち入りを許され、収容された遺体の検視や納棺する作業が続けられた。
犠牲者見送る警官隊
高度1万メートルから落下してきた犠牲者の遺体は損傷が激しく、さらに一部分しかない亡きがらも数多くあった。作業を行うオランダ調査団の代表、ヤン・タンデル氏が会見でこう漏らした。
「われわれは怒りと悲しみを込めながら作業を続けている。とてもつらいことだ」