国道9号線をホーチミン・ルートの要衝セボンに向かっていた南ベトナム政府軍の装甲車部隊は、25キロ進んだ地点で地雷を踏んで爆発した。衝撃で装甲車からたたき落とされた兵士=1971年2月、ラオス(岡村明彦氏撮影、提供写真)【拡大】
「土煙が晴れると、道路の中央には、装甲車からたたき落とされた兵士がひとり擲弾銃(てきだんじゅう)を右手に、地面に両ひざをついている。その左手には、ひとりの兵士がいまひとりの兵士にすがりついている。私は道路の左手に移動しながら、シャッターを3枚切った。両ひざを地面についた兵士の目は赤く、大きく見すえたまま動かない」
この現場における岡村の一連の視点はあくまでも立った目線で、誇張することなく、状況を克明に記録することに徹していることがわかる。
この写真は1971年3月12日号の「LIFE」の表紙で使われたが、爆発のショックで呆然(ぼうぜん)としている兵士に焦点をあてるようトリミングして掲載された。このルポルタージュは南ベトナム政府軍と米軍の敗北を暴きだし、岡村は2度目の入国禁止処分を受けた。
≪「怖いからこそ報道する価値がある」≫
岡村昭彦は1965年、解放区で潜入取材を行ったため南ベトナム政府から5年間の入国禁止処分を受けた。その後ベトナム戦争の空白を埋めるかのように、ドミニカ共和国、西アフリカのビアフラ、北アイルランドなど世界各地の紛争地域を精力的に歩いた。