奇襲。幕府軍は驚愕(きょうがく)した。銃を乱れ撃つ。銃弾の嵐のなか、決死隊は突っ走る。坂下の碇(いかり)屋周辺で激戦となった。碇屋は現存する。伊藤志津子さん(82)は語る。
「それは、それは、すさまじい戦いやったそうな。家の前は血の海になったそうです」
決死隊は壮絶な最期を遂げた。近くの山にひそんでいた本隊が動き出す。主将、中山忠光らは包囲網を突破して脱出に成功。大阪を経由して長州へ落ち延びた。他にも死地を脱した隊士がいる。池内蔵太(くらた)は長崎に渡り、坂本龍馬の海援隊に加盟した。北畠治房は明治維新後も活躍。男爵となった。天誅組の志士たちは生き抜いたのだ。
天誅組最後の決戦の地。山麓に墓地。那須信吾らの墓標が建つ。きれいに清掃されている。すがすがしい。黄色い菊。紫色のリンドウの花。そして志士の故郷、土佐の水が供えられていた。
わたしは目を閉じ、合掌した。秋の風。決死隊が渡った高見川のせせらぎが聞こえる。(塩塚保/SANKEI EXPRESS)