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【野口裕之の軍事情勢】第一次大戦、日本も欧州で闘っていた…日本人従軍看護婦の活躍 (3/5ページ)

2014.11.10 06:00

日中戦争の最中、万歳に送られて中国戦線に赴く従軍看護婦たち。その源流は第一次世界大戦時に欧州に派遣され、現地で激賞された「救護看護婦」だった=「明治100年の歴史」(講談社、提供写真)

日中戦争の最中、万歳に送られて中国戦線に赴く従軍看護婦たち。その源流は第一次世界大戦時に欧州に派遣され、現地で激賞された「救護看護婦」だった=「明治100年の歴史」(講談社、提供写真)【拡大】

 さらに3日後、27名(同22名)が英国へ発つ。米国を横断し1カ月後にロンドン郊外で救護に従事、患者は延べ7万8800名に上った。

 「戦時病院の模範」と激賞

 冒頭触れた《史料集》が収録する戦死傷原因や使用兵器を記したノートには、ハツメさんらがくじけそうになったであろう地獄絵図が透ける。「白兵創/刺創」「銃創」「砲創」「爆傷」など大戦以前にも在る戦死傷原因と人数が並ぶ。「轢傷」というのは新兵器のタンクで轢かれた将兵だろうか。一方で、大戦で進化した「機関銃」「地雷」や低性能ながら投入された「飛行機」、非道なダメージ故国際法で当時既に使用禁止だった「ダムダム」弾も、使用兵器として特記されている。

 さすがに看護婦らは精神的にも肉体的にもボロボロだったに違いない。「さすがに」と断ったのには訳がある。3カ国に赴く看護婦には、日清戦争(1894~95年)→北清事変(義和団の乱/1900年)→日露戦争(1904~05年)時、内地の陸軍予備病院や外地より傷病兵搬送に当たった病院船などで勤務した、経験者が優先された。仏派遣看護婦も経験者が3分の1を占めた。看護実績は高く評価され、パリの日赤病院は他の仏病院に比し重篤者を治療する拠点となる。ハツメさんも日露戦争で傷病兵を扱ってはいた。だが、第一次大戦は毒ガスによる熱傷や右肩から左肩を串刺しにした砲弾片、シェルショック(戦争ストレス反応)…など、凄惨の烈度は別次元だったようで、ハツメさんは「戦慄」した。

強烈な使命感と職業意識

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