築造後に短期間使われて以降は打ち捨てられていたが、第二次世界大戦前に発掘され、1995年に博物館が付設されて整備された。
上下左右対称の構造
砦は、小川や堀に囲われ、広さはサッカー場12個分に相当する約6ヘクタール。砦の中心部は完全な円形で、直径136メートル。内部は十字に4区画に仕切られ、長大な建物16軒が配置されていた。十字の四端に門が設けられており、上下左右対称の構造であった。
さらに砦の外側には、堀で囲われた郭が設けられ、建物15軒が配置されていた。ここでは最低157人が埋葬された墓も見つかっている。
これら砦全体で最大500~800人が滞在、生活していたと考えられている。日本の縄文時代の環状集落を精緻にしたような砦の作りに、洋の東西を問わない、戦いに備えた構造の共通性に感心した。
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敷地の入り口に建てられた博物館では、砦の全体像を示したミニチュア、発掘によって出土した土器などの出土品、武具、バイキング時代の服装が展示されている。