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【仏紙銃撃テロ】「何者も恐れぬ」覚悟の最期 編集長、挑発姿勢で物議 (1/3ページ)

2015.1.9 00:00

1月7日、米ニューヨークのユニオンスクエアでは、シャルリー・エブド紙の銃撃事件で犠牲になった編集者や風刺画家たちの目の拡大写真を手にした人々が、卑劣なテロ行為を糾弾した=2015年(AP)

1月7日、米ニューヨークのユニオンスクエアでは、シャルリー・エブド紙の銃撃事件で犠牲になった編集者や風刺画家たちの目の拡大写真を手にした人々が、卑劣なテロ行為を糾弾した=2015年(AP)【拡大】

  • シャルリー・エブドのステファン・シャルボニエ編集長=2015年1月7日、フランス・首都パリ(AP)
  • フランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」のパリ市内の本社で1月7日に複数の男が銃を乱射し、編集者や風刺画家ら計12人が死亡した=2015年、フランス

 12人が死亡したフランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」の銃撃事件で、フランス捜査当局は7日、容疑者3人の身元を特定。うち18歳の容疑者1人が7日夜にフランス北部の警察に出頭し、身柄を拘束された。一方、最初に銃撃されて死亡したシャルリー・エブドの名物編集長で風刺画家のステファン・シャルボニエ氏(47)は、イスラム教に限らず、宗教上のタブーに踏み込むことも辞さない挑発的な編集姿勢でしばしば物議を醸し、賛否両論を巻き起こす存在だった。最近の言動からは、常に身に危険が迫っているのを自覚していることがうかがえ、半ば覚悟の壮絶な最期だったともみられている。

 強烈風刺で発禁

 仏メディアによると、シャルリー・エブドの前身の月刊紙「アラキリ」(日本語のハラキリの意味)は1960年に創刊され、左派の過激主義が売りだったが、60年代に2度発禁処分となった。70年にもシャルル・ドゴール元大統領(1890~1970年)の死去をちゃかした表現に絡んで発禁処分になり、名称を変えて再出発。現在のシャルリー・エブドを使うようになった。販売不振から81年にいったん休刊したが、92年に再開した。

「敵意あおる」批判も

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