「私はシャルリー」。フランス週刊紙銃撃事件の犠牲者を追悼する行事では東京でも行われ、日本在住のフランス人らがテロに屈しない姿勢をアピールした=2014年1月11日午後、東京都新宿区のフランス語学校「アンスティチュ・フランセ東京」(AP)【拡大】
クリバリ容疑者は立てこもりの最中、テレビ局と電話で話し、自分はイスラム国のメンバーだと主張していた。また、フランスの捜査当局は、ブメディアン容疑者について武器の使い方を習得した危険な人物だとしており、今回の一連の事件後、イスラム教徒女性が身に着ける黒いニカブ姿で武器を構えるブメディアン容疑者の写真とビデオ映像が、仏メディアで大きな話題となっている。
水着姿から一転…
ブメディアン容疑者は1988年に、フランス中北部のビリエ・シュル・マルヌで生まれた。両親はアルジェリア系フランス人で、きょうだいは5人。父は配送運転手をしていたが、生活は楽ではなかったという。2006年ごろ、パリに出てスーパーのレジ係として働き、アフリカ系で同じイスラム教徒のクリバリ容疑者と知り合った。
当時、クリバリ容疑者はコカ・コーラの工場で臨時工として働いており、2009年には「若者の雇用促進プログラム」によってエリゼ宮でニコラ・サルコジ大統領(当時)と面会し、「大統領の力添えで正規社員にしてもらえたらありがたい」などと訴えていた。ブメディアン容疑者とクリバリ容疑者は09年7月にイスラム寺院で「結婚式」を挙げた。メディアで報じられた、このころ海岸で水着姿で抱き合っている2人の写真からは、過激派としての萌芽(ほうが)は見て取れない。