気を強く持ち、母を捜す毎日だった。仕事を休み通い詰めたが、焼け跡から見つかったのは正子さんの腕時計や湯飲みなど。遺体は出てこなかった。「記憶を失い、どこかで保護されているかも」。ビラを配り情報提供を呼び掛けた。
半年後、親戚に勧められ執り行った葬儀。骨つぼに入れる骨はなく、アパートのがれきを入れた。1年後、裁判所に失踪宣告を申し立て正子さんは戸籍上「死亡」した。
時間がたてば、踏ん切りがつくと思っていたが、逆だった。「ほかに捜し方があったんちゃうんか」。申し訳なさが年々積もり、20年を迎えた。
「あの日から時間は止まったまま。整理をつけるのは、まだ無理かな」。両手でしっかりと遺影を抱え、つぶやいた。
≪「がれきかき分けた感覚まだ残ってる」≫
「今生きていたらどうしているだろうか」-。夜明け前の17日午前5時46分、兵庫県の各地では遺族や住民が献花に訪れ、鎮魂の祈りをささげた。亡くなった家族や友人らに「命の大切さを次世代に伝えていきたい」と誓った。